神風

taros_magazine2007-02-26

泣いていた
かつて「オレを代表から外したことを後悔させてやる」と言った男が、「日本人最初の世界チャンピオンの座はオレのために空けておけ」と豪語した男が、3位の銅メダルを決めるジャンプの後、駆け寄ったチームメイトの輪の中で…
思えば彼のそんな姿を、前にも1度だけ見たことがあった
9年前、長野・白馬…あの日本の五輪史上最もドラマチックな瞬間。あのとき、ジャンプ団体でアンカーを勤めた船木の得点が表示された瞬間だ
ランディング・バーンで待っていた原田が、さらに岡部、斎藤という”金メダリスト”が船木に駆け寄る…
そして、そこに目に涙を浮かべた彼も加わったあのシーン
葛西紀明
あの日のジャンプ団体で代表から漏れた彼は、テストジャンパーのビブスをつけたまま金メダリストの4人に駆け寄り、そして一緒に泣いていた


中学生の頃から”天才”と称された葛西だったが、彼の活躍は常に暗い影と表裏をなしていた
世界で勝負しようと決心した頃に訪れた”V字”の嵐…
『クラシカルにこだわる』と宣言し、スキー板を綺麗に揃え、深く前傾する美しいフォームでその”嵐”に抵抗を見せたが、結局は飲まれてしまい、早くからV字を取り入れた原田らに遅れをとることになってしまった
さらに難病を抱えた妹のサポート、放火による火災に巻き込まれて亡くなってしまう母親の悲劇、そして2度にわたる所属するスキー部の廃部…
こうした影を背負ってしまった彼…
世界選手権やオリンピックといった大舞台でもことごとく栄冠から見放され、いつしかその称号に”悲運の”あるいは”ガラスの”といった前置詞を付されるようになった

それだけに、この地元で開催される世界ノルディック選手権には期するものがあったはずだ
「今までに取ったことのない”金”を取りたい」そう言い切って望んだ大会だった
でも、本当は彼もわかっていたはずだ。『そんなことは”神風”でも吹かない限り…』と…

この日、大倉山では何度も”神風”という言葉が飛び交った
テレビ中継や集まった観客はもちろん、現場にいたあの笠谷氏までもが絶叫したという

気まぐれで知られる大倉山の風…
それはきっと、競技やトレーニングの合間に、難病を抱える人たちを慰問し、犯罪被害者の支援集会に出向く葛西の姿を、ジャンプの神様が見ていたからこそ吹いたんだろうと思う

そして、そのジャンプの神様は、きっと葛西をバンクーバーまで連れていってくれるだろう