「撤収してください!」

taros_magazine2007-09-14

もし、ある朝目を覚まし、カーテンを開けて外を見ると、自分の家を取り囲むように何十人ものカメラマンが脚立に座りながらタバコをくゆらせていたとしたら…
もし、玄関を開けて郵便受けに新聞を取りにいったら、無数のフラッシュが自分めがけて焚かれ、そして何十人もの記者だかレポーターだかわからない連中がマイクを突きだして自分に突進してきたとしたら…
そして、そんな生活が1週間、2週間と続いたとしたら、はたして正気を保っていられるだろうか?

秋田県で発生した連続児童殺害事件の被告が、裁判で事件への関与をほぼ認めたことで、ニュースやワイドショーは畠山被告の逮捕前の言動をとらえた映像を繰り返し流しては、事件の本質は”心の闇”だの”荒んだ生活”だのと分析してみせたが…


その映像は、冒頭で述べたような相も変わらずの張り込み&突撃を繰り返すメディアに対し、「撤収してください」「迷惑です」と言っているもの、そして執拗に行く手を遮るカメラを手ではたく…というもので、どこの局も番組もそのシーンを『被告の”殺人犯ゆえの狂気”を捕らえた決定的瞬間』であるかのように、得意げに何度も何度も流していた

ただ、それは公判の中で被告が事実関係を大筋で認めたということはもちろん、畠山被告に逮捕状すら出されていない時点でのものである

地元の警察番の記者が掴んだ「母親がマークされている」という情報だけを根拠に、その時点ではまったくの一般人である被告を、何十人ものメディアが24時間体制での監視…それも、自宅を完全に包囲するという方法で何日も続けたのである

むしろ裁判中や取り調べ中なら保障される”黙秘権”すらも剥奪されたような状態の中で、群がる記者に「撤収」「迷惑」を叫ぶということ…それを報道する側は、その言動が”心の闇”を象徴しているとでも本気で思っているのだろうか?


もちろん、事件そのものについて、この被告に対しての同情など一切不要だ

しかし、今回も繰り返されたメディア・スクラムが、『被告が認めたんだから、あれはからやってもいいこと』という結果論から追認されてはならない

あの映像から見えるのは、狂ったメディアの”心の闇”だけだ