怒りのベクトル

taros_magazine2005-02-18


今日も朝からテンションの上がるニュースを見てしまった
爽快なドライバーショットを見せているゴルファー…しかしそこは河川敷で、打つ方向に通行人や自転車がいようがお構いなしで熱心にフルスイングしてるらしい
ちょっと前に大阪の方で逮捕者が出たということで話題にはなってたが、今日見たニュースがその話かどうかは知らない。なぜなら話の途中でチャンネルを変えてしまったから…
 「何も朝から自分と関係ないことで不愉快な気分になってもしょうがない」ということで、最近はこの手のニュースになるとチャンネルを変えることが多いんだけど、なんでこんなに不愉快な気分になるんだろう?とふと思った
 それは、きっと「悪」の現場を目撃したということよりも、その「悪」が公然とのさばっていて、誰にも咎められないという社会のヌルさみたいなものに対する怒りなんだと思う 
 思い出すのが“電車内での携帯電話”である
携帯が一気に普及した頃、車内での利用をめぐって「ペースメーカーに悪影響が出る」とか「会話の内容の“しょーもさな”が神経に障る」とか、いろんな説を根拠に使用の制限が求められ、それでも使ってるヤツを非難した
でも、電車内での携帯(を使ってるヤツ)が不愉快な本当の理由は、「禁止されてるのに使ってる“悪”」に対するものでなく、「そういう輩を止められない自分及び周りの人間」に対するストレスが原因なんだと思う
 長生きしたかったら不愉快なモノから目をそらし、耳をふさぎ、近寄らないこと…こんなヤクザ映画のセリフみたいな世の中になってしまったんだろうか?


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