顔 part2

 そのマスコミ、それも天下の朝日新聞で、そのまた天下の大谷昭宏氏が驚くべきコメントを載せていた

 「事件の真相に迫り、悲惨さを伝えるためにも子どもたちへの積極的な取材は当然だ。」
 その後に「配慮は必要だが」と続いてはいるものの、”積極的”や”当然”などという思考を持った人間の”配慮”なんてものはまったく期待できないに決まってる

 最近では官公庁が作成する広報誌なんかでも、一般の(モデルとして採用した子ではなく、記事中に登場する)子どもの顔は、なるべく写らないようにしているというのに…
 この日の朝日の記事も、大阪の寝屋川の小学校での乱入殺傷事件での児童への取材・報道について組まれた特集であり、大筋で「顔は(アップでは)写さないほうが…」と論じてきた最後に、”識者の意見”的にしめくくる言葉として大谷氏のコメントを掲載しているのが、まさに「何をかいわんや…」である

 何も子どもに限ったことじゃない
 まだ犯人が捕まっていない凶悪事件でも、近隣の住民の目撃証言を顔も家もわかるような形で放送しているのを見ると、大袈裟かもしれないけど「おいおい大丈夫かよ。殺されるぞ」と思ってしまう

 メディアを規制する法案が浮上するたびに、いろんな”ジャーナリスト”が「報道被害(人権侵害)が存在したのは事実だが、その行き過ぎをチェックするのもまた、ジャーナリズムの責務であり、けっして権力(政府)ではない」なんてことを必ず言う
 けど、その被害を本当の意味で救済したメディアなど見たことがない。せいぜい誰も読まない記事の間に小さな活字で「謹んでおわびします」と載せるだけだ

 「事件の真相に迫り、悲惨さを伝える」ためなら、メディアがまずやらなければいけないのは、その本業である取材・情報伝達能力を向上させる努力だろう


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