鬼脚

taros_magazine2005-12-03

何の関心も予備知識も持たず、ただ惰性で見ていたフィギュアスケートNHK杯。そんなテレビ番組で涙をボロボロこぼすことになるとは思ってもみなかった
たまたまチャンネルを合わせたとき村主章枝(すぐりふみえ)の演技がはじまった。珍しい名字なので名前くらいは知っていたが、彼女がかつてこの世界で”女王”として君臨してたこと、近年はケガで精彩を欠いていること、さらに9月にケガをしてほとんど練習できなかったこと、そしてその間に安藤や浅田という若手が台頭し、女王の座どころかオリンピック出場さえ危ぶまれていること…そんなバックグラウンドを一切知らないまま、彼女の滑る姿を見ていた
ところが、演技が始まって10秒と経過しない内に、得も言われぬ緊張感がテレビ画面から伝わってきた
これまで何回かテレビで見たフィギュアスケートとはまったく異質な雰囲気…危うくも儚い、しかしとてつもない強靱さを秘めた美しい滑り…いつしか心臓が高鳴り、身を乗り出してテレビ画面を凝視し、そして自然と涙がこみ上げてきた
彼女の演技が終わると、日本人の文化にはないハズのスタンディングオベイションは鳴りやまず、滝のように花束がスタンドからリンクに投げ込まれていた
フィギュアスケートってこんな凄いモノだったのか…』
いままでどうしても理解できなかった”芸術性”や、会場にいるファンの行動を目の当たりにしてそう思ったが、その後に出てきた選手の演技は、”氷の上で何かやってる”程度にしか見えず、演技後のスタンディングオベイションも、花束投入も”選手とファンのお約束”にしか見えなかった
結局この日の演技だけでは、村主選手がやはりトップの得点だったものの、総合の優勝は同じ日本人の中野選手。人気者の安藤選手は何度も転倒し4位だったようだ
それにしても、この日の村主の演技…わずか4分半の氷上のスポーツで、喜怒哀楽とか起承転結といったドラマ性をすべて表現し、ただテレビで見ているだけのまったくの素人すらも感動させる演技…
しかし、なぜそんな美しい演技が”危うくも儚い”ように見えてしまったのか?
それはきっと、この日の彼女の演技が”鬼脚”に見えてしまったからだろう
生涯に1度だけ、本来自分が持っているモノより遙かに高い力を発揮し、とんでもない速さでラストスパートする…競輪や競馬などで言われる”鬼脚”を、この日村主選手は使ってしまったんじゃないだろうかと思えてしまうのだ
でも、最初に述べたように自分はフィギュアスケートのことはよく知らない
だから、今日の演技は彼女にとって”想定の範囲内”であり、本当の鬼脚を見せるのはトリノのリンクであって欲しいと思う