桜のジャージー

taros_magazine2005-12-06

日本が2011年のラグビーのワールドカップ開催国に立候補してなんてまったく知らなかった…
ニュージーランドが第7回大会にして2度目の開催国となったと伝えるニュースを見ていると、”あの時”と同じように苦渋に満ちた表情の”ワールドカップ招致委員会ゼネラルマネージャー”平尾誠二が映し出されていた
大学ラグビー人気が沸騰しはじめた頃の最大のスターだった彼は、多くの学生スター選手がそのまま社会人リーグへ進む中、イングランドへ”語学留学”という進路を選んだ…いや、選ばざるを得なかったのだ
学生時代より精悍なマスクと知的な雰囲気で、単なるラグビーのスター選手の枠を越えて人気のあった彼は、在学中からファッション雑誌に取り上げられることもしばしばだった
そのことが、”アマチュアリズム”を至上命題とする時の日本ラグビー協会幹部の逆鱗に触れたのだ
彼自身、取材を受けたのはラグビーの普及のためであり、出版社サイドに対してもコマーシャルでない旨の確認を何度もとったにもかかわらず、であった
そんな彼に対して日本ラグビー協会が与えたは、桜ジャーシーではなく、『アマチュア資格剥奪』という恫喝だったのだ
やがて彼の名誉は回復され、帰国後は神戸製鋼無敵の7連覇の牽引車となり、引退後は日本代表の監督として日本ラグビーをリードしてきた
そして、その頃からラグビーは世界的に商業資本の影響を強く受けることとなった
かつて競技規則に”アマチュア宣言”まで謳っていた日本ラグビー協会は、高校から社会人リーグ、そして日本選手権に至るまでをテレビ放映を重視したスケジュールに再編成し、クラブの…いや代表の手っ取り早い強化策として外国人選手を次々に招聘し、桜のジャージーにはデカデカとスポンサー名を貼り付けた
このあまりに劇的な変遷は、時代が平尾に追いついたというよりも、協会のなりふり構わぬ”変わり身”にしか見えなかった
激変したのは協会ばかりではなかった。試合中の選手の言動も同様だった
ファウルでプレーが止まった後、プレーを遅らせるためにボールを放り投げる。審判には平然と抗議し、トライの後には派手なガッツポーズを繰り返す…
もう20年以上も前…『ラグビーは最も紳士的なスポーツ』という、やらない人からすれば笑ってしまいそうなフレーズを胸に抱いてプレーしていたラガーマンの端くれとしては、すっかり様変わりしてしまった近年のラグビーは見るに耐えず、もう何年もテレビ観戦すらしていなかったため、今回のワールドカップの話もまったく知らなかったのだ
気が付けば今年もラグビーシーズン…久しぶりに見た大学ラグビーの明早戦(”早明戦”という言い方は好きではないので…)も、天候のせいかスタジアムはずいぶんと空席が目立っていた
そして試合は、有名スポーツ用品メーカーの全面バックアップを受け、伝統のジャージーのデザインすら変えてしまった早稲田が圧勝した
こうした傾向は、国際化・戦力強化という観点からは避けられない道なのかもしれない
でも、もう自分はラグビーを見ようとは思わない
たとえ瑞穂で桜のジャージーが黒のジャージーと戦うことになっても…