ハッピーエンド

taros_magazine2006-02-23

92年アトランタ五輪のとき、競泳女子自由形のトップスイマーだった千葉すずが、勝てなかった原因について執拗に追求するメディアを『メダルキチガイ』と切り捨ててから10年以上…
その”狂気”は新たなステージに突入したと感じてしまうトリノ五輪
とにかく、このオリンピックは異様だ
「メダルが取れない」とか「ここ一番で実力が発揮できない」などという、競技自体の結果についてはさほど驚かない
各競技ごとに開催されている選手権シリーズやワールドカップを見れば、むしろ順当とさえ思えるレベルなんじゃないかと思う
問題は競技後に映し出される選手の表情だ
これまで見た選手…メダルが有力な人から出場することが目標だった人まで…そのほとんど全てが”泣いている”のだ
口では「楽しかった」「満足」を言いながらも、その表情は笑顔ではなく泣き顔なのである
新聞やテレビが伝えるように『感動の涙』なのか?…いや、とてもそうは思えない
何か、得体の知れない大きな圧力…自分と、その競技にかかるものではなく、自分以外と競技場の外にかかるとてつもない大きな圧力が、自由な感想を選手から奪っているのではないだろうか…
何度もパーティーまがいの激励会を開催するスポンサー、頼んでもいないのに実家に押し寄せる有象無象の”親類・縁者・友人・知人”、そして競技後に有無を言わず”義務”としてコメントを要求する(多額の放映権料を投じている)テレビ局…
そうして”創られたドラマ”の脚本には、「楽しかった」「満足」というセリフでしめくくる”ハッピーエンド”以外は用意されていないのである
オリンピックという”晴れ舞台”の”主役”である選手達…しかし彼(彼女)らは一流のアスリートではあるけれども”役者”ではない。セリフは言えても感情までは造れない
かくして繰り返される”涙、涙のハッピーエンド”…
そんな競技会場の片隅で、最高の笑顔で競技を締めくくった選手がいた
インド人の女子アルペンスキーヤー、ネハ・アフジャだ
日本で本格的にスキーを始め、妙高のスキー場で働きながらオリンピックを目指してきた彼女…大怪我や資金的な問題を乗り越え、ついにたどり着いた晴れ舞台は、完走選手中最下位だったけれど「全力を尽くすことが私の金メダル」と胸を張る姿は、どんな名女優でも演技できないほど気高く、輝いていた
メダルキチガイたちが、その落胆を取り繕うためのキマリ文句…”感動をありがとう”
そんな言葉の何万倍も重い感動が、そこにはあった