言論の自由

sataka

アメリカでもソビエトでも言論の自由は保証されている。ただしアメリカでは、その自由を行使した後の自由も保証されている』(旧ソ連の小噺)


先日、市街地にある公会堂の前を通りがかったところ、何台ものパトカー、それにおびただしい数の警官の姿があった
ちょうど夕暮れ時。帰宅ラッシュが始まろうとする幹線国道に漂うものものしい雰囲気…
『飲酒の検問か?』
時期が時期だけに、最初はそう思ったが、よくよく見ると警察官の装備がどうも交通事案に対するモノじゃない
バイザーの付いたヘルメットに防弾・防刃の防護ベスト、それに脛当ての付いた出動靴…それはどう見ても機動隊のそれだった
『一体何事なんだ?』
そんな疑問に答えるかのように、やがて右翼の街宣車がやってきた…
「おい、佐高ぁー!」

”辛口評論家”の佐高信の講演会が、ここで行われていたのであった
そして、氏の日頃の言動に激しく反発している右翼団体が、彼らの言う”政治活動”を実行すべく集まって来ることを察知した警官隊が、”不測の事態”に備えて警備体制を敷いていたのだった…

立ち並ぶ警官隊を挟んで繰り広げられる正反対の思想と、その表現・言論の自由
そんな一見すると一触即発の危険なシーンが、不思議なことに古い建物と相まって絶妙に調和のとれた光景に見えた

”体制側”の公僕に守られた箱の中で痛烈な政府批判をブチ上げる”激辛”評論家と、小競り合いを超えない絶妙な言動で自らを主張する”政治”団体、そしてその間に入った重装備ながらどこか緊張感の欠けた法の番人
その3者は、今にも『ハイ、カット!』の合図とともに和やかに談笑を始めそうな気配さえ感じられた…

もちろん、その夜のニュースでも翌日の新聞でも、”不測の事態”はおろか幹線国道を塞いで繰り広げられた騒動についてさえもまったく報じられていなかった 
いつもはヒステリックなまでに”言論の自由に対する挑戦”などと、些細なことまであげつらう当のメディアが、ただの一言も報じないということは、一般人も多く集まった講演会が暴力的な言動にさらされたという程度のことは、”表現・言論の自由”の範囲内だと、彼ら自身が認めているということなのだろうと思うことにした…


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