光あれ
こんな程度のコトは”タブー”でも何でもないし、こんな切り口で語るコトなど”テレビでは前代未聞”でも何でもない
これまでも、”朝生”の年越し特番などで何度か取り上げた同和問題を特集に据えた先日のサンデープロジェクト…
その意図するところはただ一つ
それは『いかにしてマスメディアから問題と責任を遠ざけるか』だけにしか見えなかった
確かに”部落”とか”エセ同和”と言った、これまでのテレビ番組からすれば十分に刺激的な言葉だけは乱れ飛んでいたが、結局のところはその責任の所在を、同和問題の研究者側、報道側の双方がこぞって行政におしつけるだけの”欠席裁判”に終始した
そもそも、その討論コーナー自体も、この番組のウリである生出演を避け、何重にも保険をかけたかのような”事前録画”で行なわれ、行政サイドからの唯一の出演(ただしテレビモニターを通じて)者である京都市長の発言に対しても、回線切断後の反論できない状態で袋だたきにするというあさましさだ
それに偽装輸入肉の事件の際に、同和利権については多くの新聞がかなり深くメスを入れている。今回の一連の同和行政の問題点についても、すでにTBSの報道特集や日本テレビのニュースで突っ込んだ取材・報道がされており、その反応を見ながら『どこまでが報道の”セーフティーゾーン”なのか?』を見極めた上で制作された”後出しジャンケン”でしかない
そうしてこの日のサンプロが踏み込んだのは『役所を叩く分には批判は来ないだろう』という確信に基づいた結論から演繹法で出来事を継ぎはいだだけの、それこそ”エセ”のタブーだ
さらに開いた口がふさがらなかったのは、「差別と同和問題に対し確固とした信念で対応してこなかった」というセリフを、役所に対してだけアッケラカンと言い放ったことだ
もう何十年も、それこそ”寝た子を起こすな”とばかりに、部落の”ブ”の字も電波に載せなかったのは誰だ?
何を恐れて表現者の命とも言うべき”言葉”を、言われるままに抹殺してきたんだ?
ちょうど1年前、同様の特集を放送した後の出来事から学んだのは、結局こういう番組を制作する、ということなのか?
こんな放送をしているうちは、同和問題の闇に本当の光は差し込まない