ヒールの意地

taros_magazine2006-01-22

久しぶりに大相撲が盛り上がっている
絶対横綱朝青龍と、それに敢然と立ち向かう人気者・琴欧州。さらにモンゴルのホープ白鵬や、カド番から這い上がってきた栃東などが、この初場所で終盤まで優勝争いを繰り広げ、ついに今日千秋楽を迎えることとなった
この近年希に見る大混戦の最大の立役者は、序盤で相次いで横綱大関を倒した黒海でも母国の英雄に土を付けた白鵬安馬でもない。朝青龍、その人自身である
ここ数年、彼が見せつけてきたあまりにも圧倒的な強さ、そして”礼を欠く”とか”横暴”などと表現されてきた土俵上での態度…彼が勝てば勝つほど、古くからの相撲ファンは『”国技”であり”神事”である相撲を何だと思っているんだ』という錦の御旗を立てて、高見山小錦、そして曙の時代から繰り返してきた批判をがなりたててきた
かくして”ヒール”(悪役)となった朝青龍は、それに対抗して”ベビーフェイス”(善玉)として琴欧州栃東を仕立て上げるための格好の獲物となった
プロレスを例に出すまでもなく、いつの時代も、どんなジャンルのスポーツでも”ベビーフェイスVSヒール”の対立構造が際だつほど、自然と注目度が高くなる
そして、ベビーフェイスがヒールを打ち負かすほどに観客は熱狂し、大歓声を送り続けるのだ
そんなヒールの意地を、14日目の琴欧州戦で見た
前々日に傷めた(と思われる)朝青龍の右腕を執拗に狙った琴欧州と、そうさせまいと左へ左へ回り込み、左腕1本で2メートルを越える琴欧州をコントロールし、最後に右腕で土俵に叩き付けた朝青龍
すでに優勝の望みがなくなってしまった中で、言うことを聞かない身体で、それでもヒールらしく勝った横綱
そして手刀を”左手”で切って、懸賞金を”左手”で受け取ってみせた
案の定、翌日の新聞はこぞってそれを批判したが、それは自分には彼流の最高の意趣返しに思えた
最高のヒールのヒールらしいキメ方…思い出すのはもう随分昔のテニスの試合、王子様然としたマスクの人気者、ステファン・エドバーグとどことなく影のある東欧の実力者イワン・レンドルの試合だ
途中、エドバーグの動きが悪いと見るや、レンドルは高いロビングを上げた。誰もがエドバーグのチャンスボールと思いきや、彼はフルスイングできす、力無く相手のコートに打ち返すだけ…
それをまたレンドルが高く上げる…返すだけのエドバーグ…
そんな奇妙なラリーを何度か続けた後、エドバーグは主審に棄権を訴え、コートを去った
彼は試合中に背筋を傷め、高いボールを強く打ち返せないほど悪化していたのだ。そして彼の動きからレンドルはそれを感じ取り、「もうやめておきなよ」とばかりにロブを上げ続けたのだ
その時代屈指の名プレーヤーでありながら、お世辞にも人気者とは言えなかったレンドルの、当代きっての人気者に対するヒールらしい意思表示…
ヒールがキメたときの勝ち方は、時に鳥肌が立つほどカッコいい

真逆

taros_magazine2006-01-15

演歌歌手の藤あや子の”衣装用住宅”に空き巣が入ったそうである
昨年には同じ東京の目黒区で石田純一の自宅や、そのすぐご近所である森尾由美の自宅でも盗難事件があったという
別に”B級”のタレントが都内に豪勢な一戸建てを構えているとか、しかもそれを”衣装部屋”として使ってることに驚いた、というわけじゃない。ただ、テレビ各局のこの事件に対する報道の仕方については失笑を禁じ得なかった
なんでもこうした芸能人宅が狙われるのは、法律で公開が定められている高額納税者名簿、いわゆる”長者番付”のせいであり、そこから住所が割り出されてしまうから…らしい
「その結果がなんで浜崎あゆみ中居正広じゃなく、石田純一なんだよ?」などというヤボなツッコミはこの際やめておこう。でも、これだけは言っておこう…「その長者番付をおもしろおかしく取り上げ、一万円札を積み上げるとどれくらいの高さだとか、芸能人以外の高額納税者の自宅さえも堂々とテレビカメラに映してインタビュー取材してきたのは誰なんだ?今まで一度でもそうした”プライバシー”に言及したことがあるのか?」と
それともう一つ、失笑どころか爆笑モノのシーンがあった
付近の芸能人宅も被害に遭っていることを伝えると、T局では「目黒区ではここ数年最近空き巣被害が急増しており…」とのコメントした後、住民2〜3人が口を揃えて『最近は物騒になった』だの『空き巣が増えた』だのと不安を訴えるシーンが放送し、”治安の悪化”が事件の背景にあるという結論を出した
一方、直後に今回の件を伝えたA局は、「目黒区はとりたてて犯罪が多発しているわけではなく…」と述べた後で、同じように何人かの住民が「空き巣なんて聞いたことない」とインタビューに答えるシーンを放送し、これが(住所の漏洩している)芸能人特有の問題であるとし、そうした住所録の流通するインターネット社会が問題であると断じた
製作サイドの編集方針ひとつで、おなじ事件の背景がまったく別の物として報道する。それも自らの主張ではなく、市民の口を借りて…
そういえば、全マスコミが得意満面で主張しているシーンを思い出した
「○○では、被害者の生命保護の観点から、これまで報道を控えてきました…」仙台の乳児誘拐事件の容疑者逮捕後にいつものように語られたキマリ文句
でも、こんなアタリマエのことさえ、捜査当局からの”お願い”や、(抜け駆け防止の)報道”協定”が結ばれていなければできない者たち…
自分たちも含む”高額納税者”や”芸能人”の個人情報の漏洩には口角泡立てて反対する反面、メシのタネである犯罪被害者の個人情報にはハイエナのようにたかる彼ら…
彼らにその犯罪被害者の実名報道の判断を委ねたらどのような結果になるか…”失笑”ではすまないだろう

解釈

taros_magazine2006-01-02

自分の住んでる豊橋という街は、南に太平洋、東に浜名湖(正確には隣接していないが)、そして西に三河湾と三方を海に囲まれたところであるが、その三河湾に面した海岸線は恐ろしいほど直線的である
キッチリと南北に一直線…それも2キロ以上にわたって続く堤防は、かつて広大な干潟だったところを干拓する際にできあがったもので、バブル期にはその外側にまたも真四角の埋め立て地ができあがった
かくして三河湾には干潟というものがほとんど無くなってしまったのだが、さすがに近年の環境に対する住民意識の向上により、わずかに残された干潟の開発計画はいつしか立ち消えとなった…ハズだったのだが…
第二東名、新空港、そして万博を、あの世界有数の大企業の全面バックアップで実現させてきた愛知県は、”環境”をテーマにした万博のほとぼりが冷めるや否や、その牙をむきだした
『六条干潟の埋め立てはしない』
昨年末、干潟の保全のあり方を話し合ってきた”三河港港湾計画検討委員会”は、こう発表した後に次のように続けた
『ただし隣接する南側の浅瀬を埋め立て、自動車基地、廃棄物処分場を建設する』と…
彼らのアタマの中では、六条潟とは地図の中に”六条干潟”と書かれている一画のことであり、そこから1メートルずれたところは六条潟ではないのだ
おそらく、こうした”識者のお墨付き”を得たところで、愛知県はその意見と寸分違わぬところを埋め立てるのだろう
せっかくの機会なんだから、役所は貝やカニ、それに魚のいる海にダンプカーで土砂を流し込む光景を地元の子供達見せてやったらどうだろうか?
モリゾーとキッコロに自然の大切さを語らせるような茶番…失礼、”寸劇”を見せるより、よっぽど効果的な”環境教育”になるだろうに…


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秋元正博とオリンピック(part3)

taros_magazine2005-12-11


そして迎えた88年。傷だらけの身体をいたわりながら、代表選考会ヤマ場と思われた1月末のNHK杯に照準を合わせ、調整を続けていた秋元のもとに信じられないニュースが届く…
あの八木コーチ率いるジャンプ部は1月半ばに突然オリンピック代表選手を決定してしまったのだ
それまで”結果よりも調整”として大会に臨んでいた彼の成績では、代表に入れないのは明らかだった。ただ、彼よりも明らかに成績の劣る選手…八木コーチの所属先の…が選考される一方、このシーズン何度も優勝を飾っていた秋元のチームメイトが選考から漏れるというあまりに恣意的な代表編成に、当時の秋元のコーチ役であった笠谷、そして秋元本人が無念の思いを短く語った
NHK杯に間に合えばいいと(連盟から)聞かされていたので…」
かくして秋元のいないカルガリーは、この大会から始まったジャンプ団体で参加国中最下位という成績に沈んだ
そして翌年、秋元は静かに現役を退いた
やがて時代は秋元が見いだした葛西、八木宏和が育てた船木、そして原田らに引き継がれ、ふたたび日本ジャンプは栄光の時代を迎えることになったのだが、その原田雅彦リレハンメルでの世紀の失敗ジャンプで日本中を失望させた翌年、秋元の名前が思わぬところでニュースになった
とんねるずのバラエティ番組収録中、一般のスキー場のゲレンデに設置された小さなジャンプ台で着地に失敗転倒し、頸部損傷の大けがを負ってしまったのだ
レークプラシッドの銀メダリストがジャンプ部の強化委員長に就任し、着々と実績を積み重ねている裏で、メダルを逃した天才はバラエティ番組に出演していたのだ…
あまりに残酷な明と暗…それでも彼はジャンプを捨てることはできなかった
何度も所属先が廃部となる不運に見舞われた愛弟子、葛西が所属する土屋ホームのジャンプ部のコーチとしてシャンツェに戻ってきた彼は、ときおりテレビ解説にも登場するようになった
そしてしばらく表舞台から遠ざかっていた笠谷は連盟のスキー部長に就任し、その下で日本ジャンプ陣の強化を図る八木宏和は「秋元さんは別世界の強さを持ったジャンパーだった」と振り返るまでにいつしか時は流れていた…
2005年には、秋元はあの鈴木宗男率いる新党から衆議院選挙に立候補した。結果は最下位で落選だったが、それでも彼の表情からはあの頃のような影は消えていた
その彼について、最近ちょっとおもしろい話を耳にした
今、世間で脚光を浴びているある人物が、尊敬する人として秋元の名を挙げていたのだ
「数々の苦難と恐怖心を克服し、なおもジャンプし続けた彼を心から尊敬する」
大胆なアイデアと行動力で、全国有数の巨大自治体を改革し続ける横浜市長中田宏氏の言葉である
確かに彼は”悲運の天才ジャンパー”だったかもしれない。しかし忘れられたジャンパーではなかった
彼の生き様は、あの力強く美しいジャンプと同様、今なお多くの人の心に刻まれているのだ
そしてまた、オリンピックがやってくる
今度こそ、彼はオリンピックを心から楽しむことだできるだろう


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秋元正博とオリンピック(part2)

taros_magazine2005-12-10


レークプラシッドから2年、秋元にさらなる試練が襲いかかる
自らの不注意により老人を死亡させてしまうという交通事故を起こしてしまったのだ
失意と後悔のどん底で一度はあきらめた競技生活…しかし、事故の相手方の遺族から嘆願書が出されたこともあり、復活へのわずかな希望を胸に彼は2年近くにわたる謹慎生活を送る
しかし、彼が所属する建設会社には、”ジャンプが仕事”だったオリンピック選手がするような広報活動も講演活動もあるはずもない。彼は工事現場で土と汗にまみれ、アルバイト同然の給料で働き続けたのである
やがてやってきたオリンピックシーズン…しかし、彼がシャンツェに戻ることを許されたのは、サラエボ五輪代表の選考が終了した後のことだった…
そのシーズン、彼のスパークは目を見張るものだった
ワールドカップも含め、参戦した23大会で15勝…当時のスター、マッチ・ニッカネンやイエンス・バイスフロク、それに海外の関係者は日本のプレスにこぞって逆取材した『なぜアキモトはサラエボに来ないんだ?』
ようやく世界にその強さを認めさせた秋元は、86年、ジャンプの本場ヨーロッパで人気を誇る”フライング選手権”に出場することとなった
K点185メートルというオーストリア、バートミッテンドルフの上空…これまでにない滞空時間とスピードにより狂わされた彼のジャンプ感は、そのまま空中姿勢のバランスをも大きく崩してしまう
ランディングバーンに叩きつけられ、考えられない角度に曲がった右足。その映像は世界中に配信され、翌日のオーストリア地元紙は、彼が空中でバランスを失った瞬間の写真を”KAMIKAZE”という見出しで掲載した
その後のフライングのルール変更のきっかけにさえなったほどの激しい転倒…誰もが『今度こそ秋元は終わった』と思う中、彼だけが2度目の復活を信じていた。そしてその日は現実となったのである
87年、復帰第1戦となった宮様大会で3位、さらに翌クナイスル杯で2位と成績を上げ、ついに翌日開催された伊藤杯で優勝という見事な復活劇…つめかけた観衆の「秋元ガンバレ!」の声に号泣しながらも、それらの大会を彼は通過点と心に決めていた
「これまで支えてくれたチーム関係者のため、ファンのため、そして苦労をかけ通しの家族のために、オリンピックに出たい、そして勝ちたい…」そんな思いで、彼はカルガリーに向けてコンディションを整えていたのだが…

秋元正博とオリンピック(part1)

taros_magazine2005-12-09

よく”悲運の…”と称されるアスリートがいる
その競技人生のピーク時に国際舞台で活躍する機会を奪われてしまう”悲運”…間違いなく世界最強ランナーだった時期にオリンピック出場のかなわなかった瀬古利彦や、同じく日本がボイコットしたモスクワオリンピック当時の天才スイマー長崎宏子、無敗で予選通過したヨーロッパ選手権で、開催国に到着したとたんに”犯罪者”同様の仕打ちで追い返されたストイコビッチ率いるユーゴスラビア(88年当時)のサッカー選手たちなど、個人の力ではどうしようもない巨大な渦に飲み込まれてしまったアスリート達の無念を推し量り、そしてある種の同情を込めて”悲運の…”と呼ぶのかもしれない
しかし、この男のそれは”悲運”と呼ぶにはあまりにも残酷かつ悲劇的である
秋元正博…この男について、私たちが知ることができるのは『80年レークプラシッド冬季五輪 スキージャンプ70m級 4位』というオリンピックでの公式記録だけだ…
スピードスケートやスキーのモーグルで世界的に活躍する日本人が増えた近年にあっても、冬のオリンピックで開催されるジャンプに対する日本人の思い入れは別格だ
それは札幌での日の丸飛行隊から始まり、長野での原田雅彦の奇跡の大ジャンプまで、20年近くに渡り綿々と連なる壮大なドラマの仕立てのようなストーリーが、日本人の琴線に触れるからだろう
しかし、その途中でポッカリと抜け落ちた記憶…語られないその空白の歴史の主役こそが秋元である
明治大学在学中から全日本選手権で優勝するなど、日本ジャンプ陣が切望していた”ポスト笠谷”候補の筆頭だった彼
五輪前のワールドカップ札幌大会でも日本人として初優勝を成し遂げた彼の勢いはレークプラシッドシャンツェにやってきても衰えなかった
練習、そして本番前の試走でも圧倒的なジャンプを連発し世界の強豪を驚かせる秋元。しかし、一番脅威を感じていたのは、ほかならぬ秋元本人だった
「ヤバイな…飛びすぎたら…」
そして迎えた本番…後に「あの2本だけが大失敗だった」と自身が語ったジャンプは、メダルにわずかに届かず4位だった
でも、それは決して悪い成績ではなかった。まだ若く有望なジャンパーが世界の大舞台で掴んだ4位…しかし、ここで後々まで彼に覆いかぶさることとなる”影”があった
同じ70m級で、日本の八木宏和が2位と銀メダルを獲得したのだ
札幌以来のメダル獲得という大ニュースの前に、その後秋元がワールドカップや国内大会で見せた圧倒的な強さはほとんど注目されなかった
そしてもう一つ、この秋元と八木の関係を象徴する事実がある
秋元が札幌の金メダリスト笠谷を師と仰いでいたのに対し、八木の実父は当時のスキー連盟のジャンプ部のヘッドコーチであったのである
当時、スキー連盟の中でくすぶっていたこの両者を中心とした勢力の対立…かつての金メダリストとあらたなメダリストを”育てた”コーチによる、指導法や強化選手指定、さらに飛型点の採点に至るまでの”確執”…
レークプラシッドでの八木の銀メダルは、この勢力図に大きな影響を及ぼすこととなり、後に秋元にさらなる悲劇をもたらすことになったのである

桜のジャージー

taros_magazine2005-12-06

日本が2011年のラグビーのワールドカップ開催国に立候補してなんてまったく知らなかった…
ニュージーランドが第7回大会にして2度目の開催国となったと伝えるニュースを見ていると、”あの時”と同じように苦渋に満ちた表情の”ワールドカップ招致委員会ゼネラルマネージャー”平尾誠二が映し出されていた
大学ラグビー人気が沸騰しはじめた頃の最大のスターだった彼は、多くの学生スター選手がそのまま社会人リーグへ進む中、イングランドへ”語学留学”という進路を選んだ…いや、選ばざるを得なかったのだ
学生時代より精悍なマスクと知的な雰囲気で、単なるラグビーのスター選手の枠を越えて人気のあった彼は、在学中からファッション雑誌に取り上げられることもしばしばだった
そのことが、”アマチュアリズム”を至上命題とする時の日本ラグビー協会幹部の逆鱗に触れたのだ
彼自身、取材を受けたのはラグビーの普及のためであり、出版社サイドに対してもコマーシャルでない旨の確認を何度もとったにもかかわらず、であった
そんな彼に対して日本ラグビー協会が与えたは、桜ジャーシーではなく、『アマチュア資格剥奪』という恫喝だったのだ
やがて彼の名誉は回復され、帰国後は神戸製鋼無敵の7連覇の牽引車となり、引退後は日本代表の監督として日本ラグビーをリードしてきた
そして、その頃からラグビーは世界的に商業資本の影響を強く受けることとなった
かつて競技規則に”アマチュア宣言”まで謳っていた日本ラグビー協会は、高校から社会人リーグ、そして日本選手権に至るまでをテレビ放映を重視したスケジュールに再編成し、クラブの…いや代表の手っ取り早い強化策として外国人選手を次々に招聘し、桜のジャージーにはデカデカとスポンサー名を貼り付けた
このあまりに劇的な変遷は、時代が平尾に追いついたというよりも、協会のなりふり構わぬ”変わり身”にしか見えなかった
激変したのは協会ばかりではなかった。試合中の選手の言動も同様だった
ファウルでプレーが止まった後、プレーを遅らせるためにボールを放り投げる。審判には平然と抗議し、トライの後には派手なガッツポーズを繰り返す…
もう20年以上も前…『ラグビーは最も紳士的なスポーツ』という、やらない人からすれば笑ってしまいそうなフレーズを胸に抱いてプレーしていたラガーマンの端くれとしては、すっかり様変わりしてしまった近年のラグビーは見るに耐えず、もう何年もテレビ観戦すらしていなかったため、今回のワールドカップの話もまったく知らなかったのだ
気が付けば今年もラグビーシーズン…久しぶりに見た大学ラグビーの明早戦(”早明戦”という言い方は好きではないので…)も、天候のせいかスタジアムはずいぶんと空席が目立っていた
そして試合は、有名スポーツ用品メーカーの全面バックアップを受け、伝統のジャージーのデザインすら変えてしまった早稲田が圧勝した
こうした傾向は、国際化・戦力強化という観点からは避けられない道なのかもしれない
でも、もう自分はラグビーを見ようとは思わない
たとえ瑞穂で桜のジャージーが黒のジャージーと戦うことになっても…