光あれ

taros_magazine2006-12-14

こんな程度のコトは”タブー”でも何でもないし、こんな切り口で語るコトなど”テレビでは前代未聞”でも何でもない

これまでも、”朝生”の年越し特番などで何度か取り上げた同和問題を特集に据えた先日のサンデープロジェクト
その意図するところはただ一つ
それは『いかにしてマスメディアから問題と責任を遠ざけるか』だけにしか見えなかった

確かに”部落”とか”エセ同和”と言った、これまでのテレビ番組からすれば十分に刺激的な言葉だけは乱れ飛んでいたが、結局のところはその責任の所在を、同和問題の研究者側、報道側の双方がこぞって行政におしつけるだけの”欠席裁判”に終始した

そもそも、その討論コーナー自体も、この番組のウリである生出演を避け、何重にも保険をかけたかのような”事前録画”で行なわれ、行政サイドからの唯一の出演(ただしテレビモニターを通じて)者である京都市長の発言に対しても、回線切断後の反論できない状態で袋だたきにするというあさましさだ

それに偽装輸入肉の事件の際に、同和利権については多くの新聞がかなり深くメスを入れている。今回の一連の同和行政の問題点についても、すでにTBSの報道特集日本テレビのニュースで突っ込んだ取材・報道がされており、その反応を見ながら『どこまでが報道の”セーフティーゾーン”なのか?』を見極めた上で制作された”後出しジャンケン”でしかない

そうしてこの日のサンプロが踏み込んだのは『役所を叩く分には批判は来ないだろう』という確信に基づいた結論から演繹法で出来事を継ぎはいだだけの、それこそ”エセ”のタブーだ

さらに開いた口がふさがらなかったのは、「差別と同和問題に対し確固とした信念で対応してこなかった」というセリフを、役所に対してだけアッケラカンと言い放ったことだ

もう何十年も、それこそ”寝た子を起こすな”とばかりに、部落の”ブ”の字も電波に載せなかったのは誰だ?

何を恐れて表現者の命とも言うべき”言葉”を、言われるままに抹殺してきたんだ?

ちょうど1年前、同様の特集を放送した後の出来事から学んだのは、結局こういう番組を制作する、ということなのか?

こんな放送をしているうちは、同和問題の闇に本当の光は差し込まない

言論の自由

sataka

アメリカでもソビエトでも言論の自由は保証されている。ただしアメリカでは、その自由を行使した後の自由も保証されている』(旧ソ連の小噺)


先日、市街地にある公会堂の前を通りがかったところ、何台ものパトカー、それにおびただしい数の警官の姿があった
ちょうど夕暮れ時。帰宅ラッシュが始まろうとする幹線国道に漂うものものしい雰囲気…
『飲酒の検問か?』
時期が時期だけに、最初はそう思ったが、よくよく見ると警察官の装備がどうも交通事案に対するモノじゃない
バイザーの付いたヘルメットに防弾・防刃の防護ベスト、それに脛当ての付いた出動靴…それはどう見ても機動隊のそれだった
『一体何事なんだ?』
そんな疑問に答えるかのように、やがて右翼の街宣車がやってきた…
「おい、佐高ぁー!」

”辛口評論家”の佐高信の講演会が、ここで行われていたのであった
そして、氏の日頃の言動に激しく反発している右翼団体が、彼らの言う”政治活動”を実行すべく集まって来ることを察知した警官隊が、”不測の事態”に備えて警備体制を敷いていたのだった…

立ち並ぶ警官隊を挟んで繰り広げられる正反対の思想と、その表現・言論の自由
そんな一見すると一触即発の危険なシーンが、不思議なことに古い建物と相まって絶妙に調和のとれた光景に見えた

”体制側”の公僕に守られた箱の中で痛烈な政府批判をブチ上げる”激辛”評論家と、小競り合いを超えない絶妙な言動で自らを主張する”政治”団体、そしてその間に入った重装備ながらどこか緊張感の欠けた法の番人
その3者は、今にも『ハイ、カット!』の合図とともに和やかに談笑を始めそうな気配さえ感じられた…

もちろん、その夜のニュースでも翌日の新聞でも、”不測の事態”はおろか幹線国道を塞いで繰り広げられた騒動についてさえもまったく報じられていなかった 
いつもはヒステリックなまでに”言論の自由に対する挑戦”などと、些細なことまであげつらう当のメディアが、ただの一言も報じないということは、一般人も多く集まった講演会が暴力的な言動にさらされたという程度のことは、”表現・言論の自由”の範囲内だと、彼ら自身が認めているということなのだろうと思うことにした…


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静かな朝

taros_magazine2006-06-17

不思議なほどサッカーのワールドカップが話題にならない
いや、テレビや新聞などは連日トップニュースで伝えている。きっとサッカー好きや若者の間では盛り上がっているんだろうと思う
ところが4年前…さらには予選開催中、それどころか代表メンバー発表時にはあれほどまでに”語って”いた連中…それはハッキリ言ってしまえば会社のオヤジ連中なのだが、彼らが日本対オーストラリアの試合の翌日以降、見事なまでにこの話題に関して沈黙を守っているのだ
『(敗戦が)ショックのあまり口をきけない』という状態かというとそうでもない
別に落ち込んでいるようには見えないし、村上ファンドの話題やプロ野球のセパ交流試合については、皆自説を声高に主張している
どうやら、『(日本代表について)何を言っていいのかわからない』という状態のようだ
これまでスポーツニュースや情報誌が伝えてきた戦術、戦力、そして予想が木っ端微塵に粉砕されてしまうという結果は、彼ら”語る”連中が頼りにしてきた情報源の信憑性を根本から揺るがしてしまったのだ
思えば敗戦を伝えるニュースはどれも歯切れの悪いモノだった
とりあえず”怒りのポーズ”で視聴者を煽ってみせたみのもんたの発言が予想外に大きく取り上げられるほど、この敗戦についてハッキリとモノを言うコメンテーターは少なかった
こうなってしまうと、この結果について語るためには、今までのようにソースの引用ではなく、語る自分の判断を必要とすることになってしまう
ジーコを批判していいのか?ケガ人続出のせいなのか?単純に弱いのか?…
専門家でも避けている判断を、人前で言い切ってしまわなければ”語る”ことはできないのである
かくして6月13日の朝は、前の晩に国民の半数が観戦したという大イベントについて誰も話題にしないという、奇妙な沈黙が支配する不思議な光景を見ることとなった
はたして、6月19日の朝はどうなっているんだろう?


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矛先

taros_magazine2006-04-20

先頃、警察庁が全国に『危険な運転を繰り返す自転車を積極的に取り締まる』よう伝えたという
ま、確かに通学時や帰宅時の高校生の車列には、閉口させられるような運転も目にすることもたまにはある
以前テレビのワイドショーだかニュース番組でも、街角に立ってそうした自転車を日夜注意するオジサンを取り上げ”英雄視”しているようなシーンを見たことがある
車を運転する側から見れば『ジャマ者』、歩行者から見れば『凶器』なわけで、何らかの強制力でもって抑止を計るというのもごく当たり前のことなのかもしれない
ということで、さっそくニュース番組では混雑する舗道を”暴走”する、”無法”自転車の取材をしていた
案の定、そこでは老人の横を”猛スピード”ですり抜ける若者、携帯でメールを打ちながら走る高校生、さらに信号無視だの、ナナメ横断だのが次から次へと現れる
レポーターはそのたびに「信号赤ですよ!」とか「危ない危ない!」、しまいには「何やってるかわかってるんですか!違法行為ですよ!」などと声を荒げていた
『あー…オレに言ってくれたらなぁ…』
いつも自転車で音楽を聴きながら舗道を”猛スピードで暴走”して通勤している自分は、そう思わずにはいられなかった。もし自分にそうしたレポーターが声をかけてきたら、こう言ってやるのに…
『アンタ、ここまでどうやってきたの?そこの道路に”違法駐車”してるロケバス?もしかして制限速度内でずーっと走ってきたの?』
ニュースでは脚立と自転車が接触し、脚立に乗ってた老人が死亡した、という事件をことさらに強調し、”暴走自転車”を非難していた
確かにそれは不幸な事故ではあるが、統計的には街を走ってる自動車が起こす事故に比べれば限りなく”ゼロ”に近い発生率だ
それに悪質さという面から考えても、先に同じニュース番組で取材していた”飲酒トラック”と同じような方向性で報道するというのもあまりに安直だろう
報道が真に”中立”の立場に立ち、社会的な役割を持って検証する機関であるなら、今回の警察庁の方針に対して批判もあって当然だと思う
「今の日本の道路事情で、自転車に何処を走れというのか?自転車の取り締まりを強化する人員と体制があるなら、街中にあふれる自動車の信号無視、迷惑駐車、スピード違反、その他諸々の違反を取り締まったらどうだ?」と…
ニュースで盛んに繰り返されていた『自転車も飲酒運転は”3年以下の懲役又は50万円以下の罰金”なんですよ!』という殺し文句…
こんなふうにマスコミに大騒ぎしてもらえば、もう警察庁は”してやったり”の気分だろう
でも、ホントに繁華街で自転車の飲酒検問なんかやった日には、『じゃ自転車より捕まりにくい”自動車”で飲みに行くか』って思うヤツがきっと増えると思うけどナ

ローリング・ストーンズ狂想曲

taros_magazine2006-04-06

PART-1 "The Way To NAGOYA DOME"
「ネット予約後、先に金を振り込んだ人から順番に受け付け」…このオレオレ詐欺全盛時に、神をも恐れぬ販売方法でファンの度肝を抜いた今回のローリングストーンズ来日公演の招聘元のJECインターナショナル…
それでも言われるままに振り込んだ18Kの大金…それは当初の「先行予約って、どのあたりの座席なんだろ?」という一抹の不安から、やがて「詐欺じゃねーのか、おい」という怒りに変化した
その後、告知されては消えるJECのネット予約スケジュール、そして一向に手元に来ないチケットがそこらのプレイガイドで普通に売られるようになった頃、致命的なメールが届く
”発送遅れまーす”
ここに至り、怒りが懇願に変わる…
『頼む、どんな席でもいいからチケットが来ますように…』
祈りが届いたのか、それから程なくして届いたチケット『アリーナC14ブロック128番』
で、それは前なのか後ろなのか?


PART-2 "やっと来たぜ、ナゴヤァー!"
4月5日水曜日…当然の平日なわけで、一応仕事などこなした後に名古屋へ出掛けたためスーツ姿なのだが、一応ネクタイは”ベロマーク”、耳には同じくベロマークのピアスで気合いを入れてみた
しかし現場はもっと凄いことになっていた。目もくらむような上下ベロマークのスーツの野郎が何人もいやがる…「おまえら、まさかその格好で電車乗ってきたんじゃないだろうなー!すげーぜ!」
さて、ライブは予定通り7時開演…と思ったら前座のリッチー・コンツェンというユニット(?)だった
しかしこれが予想外に良かった。スティービー・レイ・ボーンとデビッド・ギルモア高中正義を足して4.25くらいで割ったようなギタープレイは実にカッコ良かった
それとどういう訳だか知らないけど、20年以上前に『機動戦士ガンダム』が映画化されたときに使われた主題歌をカバーしてた
そんな入魂のプレイも虚しく、推定平均年齢40歳の客はみな座って来たるべき長丁場に備えて体力を温存するのであった


PART-3 "トイレ休憩じゃねーぞ!"
ジャンピング・ジャック・フラッシュのイントロが鳴り響いたのは午後8時過ぎ…
それまで隣の席でおとなしく携帯メールを打っていた、28歳公務員風の清楚な女性がイキナリ狂ったように乱舞し始める
目の前では50過ぎのオヤジがエマニエル坊やのようなイカれたダンスを繰り広げている
ま、詳しいセットリストや画像は他のサイト・ブログにお任せして、思ったことなどを箇条書きで…
1.ミックに日本語のジョークを教えたのはデーブ・スペクターだと思う
2.ルビー・チューズデイのエンディングでの、ピアノとキースの息のあわなさ加減はちょっとスゴかった
3.やたらとロニーがラクしてる気がした。脱退間近か?
4.キースのボーカルのとき、トイレに向かって客が殺到した。”HAPPY”の最後にキースが何かつぶやいたのだが、『トイレ休憩じゃねーぞ、ったく…』って言ってたのかもしれない
5.ゴールデン・サークルの客、ハシャギ過ぎ。でも、オレもあそこで見たかった…
6.1歳半のムスメがテレビとかの音楽に合わせて踊る奇妙な動きが遺伝だったとわかった(ふと気が付くと同じ動きでノツていたオレ…)


PART-4 "The Day After "
ということで、今日も朝から枯れたノドとズキズキ痛む首を抱えて仕事に行ったのだが…
「昨日行ったんだって?ストーンズ」「どうでした?ストーンズ」などと、やたらと合う人合う人に言われる
最初のウチは「いやー、良かったですよー」とか答えていたのだが、何故だか次第にアタマにきてしまった
野球やサッカーと同じように、ニュースでやってたからって朝の仕事前の話題にされてもなぁ…正直"Get off my cloud !"とか言いたい気分だった
何と言うか…やっぱりストーンズの魅力は、ハマった人しかわからない、言葉で説明できるモノじゃないと思うのである


そこで一首…


”ウマい”、”ヘタ”
それを論じて、何になる
イッツ・オンリー・ロックンロール


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Paint It Black

taros_magazine2006-03-06

自分が小学生の頃、近所のアパートに”元死刑囚”が住んでいた
実際にはこれは大きな間違いで、正確には「殺人・放火で逮捕され、死刑を求刑されたが地裁で無罪判決が出され、そのまま無罪が確定した人」だったと後に知った
当時も”無罪になった人”だということは知っていたが、それでもやっぱり怖かったので、その人にも、そのアパートにも近づかないようにしていた
付近に住む人も、”避ける”というわけではないけど距離を置いているのが幼心にも見て取れた
最近になって、この人が罪に問われた事件に詳しい人からいろんな話をきくことができた
その人の話によると、彼はグレーで無罪になったのではなく、パーフェクトなシロとして無罪だったという
ほぼ完璧なアリバイがあったにもかかわらず逮捕され、さらに彼に結びつく証拠は一切発見されなかったこと、そして警察・検察の一部ですら「有罪にはできない」と感じながらも起訴、しかも死刑を求刑したらしいということなど…
当時も冤罪だという声は多く、いろんな人が熱心に支援活動をしたという
でも、無罪放免となってからも彼は近所からは孤立してしまっていた
”逮捕された”という事実が、裁判手続きを待たずに人々の脳裏に”有罪”判決を焼き付けるのか?
いや、”ロス疑惑”を思い出して欲しい
三浦和義氏は逮捕前にすでに”極悪人”だった(その逮捕容疑すら後に無罪判決が確定した)し、ライブドアの堀江元社長は難解な証券取引法や商法の解釈をあさってに追いやり、”モラルうんぬん”で逮捕前に人間失格の烙印を押されていた
結局、最終的には”いちばんオイシく見える段階”で、白く見えるか黒く見えるか、ということなんじゃないだろうか?
そしてその様子を見せるのがマスメディアである
彼らがカメラのレンズに濃いグレーのフィルター(…それは、被疑者のささいな近隣トラブルやストレス発散を『心の闇』として紹介したり…)をかぶせると、家庭のテレビには黒く見え、斜のかかったライト(…容疑者という言葉を”メンバー”に置き換えたり…)を当てれば白く見えてしまう
やがて”賞味期限”を過ぎれば、シロにもクロにも平等に感心は薄れていく。メディアからも世間からも…あの日カメラに映し出された姿の記憶だけを残して…
1審で無罪判決の出された豊川市の幼児連れ去り殺人事件は、検察側が控訴に踏み切った
事件発生時には被害者家族のファッションセンスや、車の趣味までが何かと話題になり、容疑者逮捕時にはその生活スタイルがヤリ玉に挙げられたこの事件…とうに賞味期限の切れたこのニュースに本当の白黒がついたとき、被告は、被害者家族は、どういった状況下にあるのだろうか

ハッピーエンド

taros_magazine2006-02-23

92年アトランタ五輪のとき、競泳女子自由形のトップスイマーだった千葉すずが、勝てなかった原因について執拗に追求するメディアを『メダルキチガイ』と切り捨ててから10年以上…
その”狂気”は新たなステージに突入したと感じてしまうトリノ五輪
とにかく、このオリンピックは異様だ
「メダルが取れない」とか「ここ一番で実力が発揮できない」などという、競技自体の結果についてはさほど驚かない
各競技ごとに開催されている選手権シリーズやワールドカップを見れば、むしろ順当とさえ思えるレベルなんじゃないかと思う
問題は競技後に映し出される選手の表情だ
これまで見た選手…メダルが有力な人から出場することが目標だった人まで…そのほとんど全てが”泣いている”のだ
口では「楽しかった」「満足」を言いながらも、その表情は笑顔ではなく泣き顔なのである
新聞やテレビが伝えるように『感動の涙』なのか?…いや、とてもそうは思えない
何か、得体の知れない大きな圧力…自分と、その競技にかかるものではなく、自分以外と競技場の外にかかるとてつもない大きな圧力が、自由な感想を選手から奪っているのではないだろうか…
何度もパーティーまがいの激励会を開催するスポンサー、頼んでもいないのに実家に押し寄せる有象無象の”親類・縁者・友人・知人”、そして競技後に有無を言わず”義務”としてコメントを要求する(多額の放映権料を投じている)テレビ局…
そうして”創られたドラマ”の脚本には、「楽しかった」「満足」というセリフでしめくくる”ハッピーエンド”以外は用意されていないのである
オリンピックという”晴れ舞台”の”主役”である選手達…しかし彼(彼女)らは一流のアスリートではあるけれども”役者”ではない。セリフは言えても感情までは造れない
かくして繰り返される”涙、涙のハッピーエンド”…
そんな競技会場の片隅で、最高の笑顔で競技を締めくくった選手がいた
インド人の女子アルペンスキーヤー、ネハ・アフジャだ
日本で本格的にスキーを始め、妙高のスキー場で働きながらオリンピックを目指してきた彼女…大怪我や資金的な問題を乗り越え、ついにたどり着いた晴れ舞台は、完走選手中最下位だったけれど「全力を尽くすことが私の金メダル」と胸を張る姿は、どんな名女優でも演技できないほど気高く、輝いていた
メダルキチガイたちが、その落胆を取り繕うためのキマリ文句…”感動をありがとう”
そんな言葉の何万倍も重い感動が、そこにはあった